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neko-jiman "猫ばな"

ペットショップに行く前に、ぜひぜひ読んでください!
人は猫がいなくても生きていける。、、、けど、いてくれたならもっとシアワセに生きていける。」1人でも多くの保護猫の里親参加が増えることを願って、みんなの"猫ばな"を集めました。nekocante2017に集まった猫ばな18編、2018年で26編、中津カンテ・グランデ、しろちゃんコーナーに冊子にして置いてありますので、よかったらぜひ手にとってお読みください。2021年も引き続き猫とあなたの出会いや、なにげない猫とのシアワセ話をメールで募集延長いたします。全国みなさまからの猫バナお待ちしています。
ゆずなつ1.jpeg
#27「仲良し兄妹」
Feb 10,2021

友人が飼っている猫を旅行中に預かる機会が何度かあり、猫と過ごすその幸せな時間から猫との生活が病みつきとなり、我が家にも猫を迎えようと決めました。そんな時、里親募集サイト「ペットのおうち」で、グレーとキジトラの2匹の兄妹猫(推定2歳)と出会いました。

 

キジトラのゆずちゃんだけを引き取るつもりで会いに行ったら、一緒にいたグレーのなつくんも可愛い。保護主さんから、産まれてからずっと一緒に過ごしてきて、とっても仲の良い兄妹と聞き、2匹を引き離すことが出来ず、2匹ともお迎えする事になりました。本当は1匹だけのつもりだったので、多頭飼いがきちんと出来るのかどうか、正直不安もありました。

 

そんな不安をよそに、ふたりはあっという間に我が家に馴染み、保護主さんのおうちできちんとしつけもされていたのでイタズラや粗相もなく、猫も人間もすぐに安心して毎日を送ることができました。

 

ふたりはほんとうに仲良しで、いつも一緒に過ごしています。一緒に並んでお外を眺めて、おもちゃで楽しく遊んで、お互いを優しくグルーミングしたりしています。眠る時はひとつのクッションでまあるくなっていたり、猫用ベッドで隙間なくぴったりくっついている姿も良く見ます。そんなふたりを見ていると私もとても癒やされます。

 

こんな姿を見れるのは多頭飼いならではの事ですし、あの時兄妹を引き離してしまっていたらこんな姿を見ることが出来なかったので、一緒にお迎えして本当に良かったと思っています。これからもずっと仲良く、ふたりで元気に楽しく過ごす毎日を見守っていきたいです。そして、なつくんとゆずちゃんのように、たくさんの猫さんに幸せが訪れるといいなと願っています。

 

#27 by ゆずなつ(インスタ:yuzu_natsu_love)

#26 「加悦雅乃が猫を書く理由」

May 14, 2018

物心ついた時から猫がいるのが当たり前。

目の前にいつも猫が居て、猫を描くのは呼吸と一緒。

猫の愛らしさと野性味と優美さが

 

僕の表現したい絵とマッチした。

​#26 by Miyano Kaya

#25 「レンちゃんとの出逢い」

May 14, 2018

私は中学生の頃、白い子猫を拾い実家でねこを飼って以来、猫好きとしてずっと生きてきたのですが、結婚してから主人が猫嫌いと言うので猫を飼うのを諦めておりました。しかし、猫を飼いたいという思いが日に日に強くなり、ある日主人にこんな提案をしました。

「今日から3日以内に、猫を飼いませんか?というメールが私の携帯に届いたら絶対に猫を飼う!けどいい?」

 

と言うや否や、すぐに私の携帯にメールが届きました。「タバコの火で火傷をさせられた猫を保護した友人がいて、その猫のためにマンションを借りてるけど、もう家賃が払えないので猫ちゃんの行くところがなくなるので、飼ってくれないか」という内容でした。

私はすぐさま勝ち誇ったような顔で「猫飼うのきまったね」と渋い顔の主人を無視して、友人いに連絡。連れてきてもらった猫ちゃんに主人もすぐにメロメロでした。

 最初はやはり、人間が怖い様子でしたが、時間が経つにつれて慣れてくれまして、今や京都大原の隠れ観光名所”猫猫寺”の見習い猫住職として、17歳のおばあちゃんにも関わらず、元気にお店番をしてくれております。

あの時、あのタイミングでメールがきたお陰で、猫猫寺が出来たと言っても過言ではありません。

​#25 by 猫猫寺 Junko Kaya

#24 「幸せをはこぶ猫」

May 10, 2018

昔、野良猫と暮らしていた。

いつも、きままにやって来て、きままに去って行く。

しばらく、来ないなと寂しがっていると、

玄関の前に立っていたりする。

 

近寄ると、短く「にゃ~」と一声して、

さっと、またどこかに行ってしまう。

 

朝から絵を描いて、一休みして、外に出てみると、

家の屋根の上で、猫は昼寝していた。

 

「ああ、ここにいたんだ」

可笑しくて、ちょっとうれし涙の気分。

 

それから、その小さな家には、縁側があった。

猫らしく、猫は縁側で昼寝を好んだ。

 

よく、猫といっしょに花の香りのする、縁側で昼寝をした。

時間がゆっくりと流れる、幸せなひと時だった。

 

そばにいてくれるだけで、幸せな気持ちにさせてくれる猫。

時には、ものすごく行動的な猫。

 

そんな、きままな猫を友達のように思うし、大好きだ。

 

今は、猫とは暮らしては、いないけれど、

猫たちには、いつもいろんな事を教えられているような気がする。

 

歌をうたようにキャンバスに描き、うたいながら書いた詩が、

幸せや励ましを運んでくれる、 きままな猫のような存在に、

なってくれる事を願っています。

​#24 by pepe shimada

#23『猫に教わったこと』

May 09, 2018

私にとって猫とは、ひとことで言えば私の人生と切っても切り離せないものです。

しかしその関係は時により様々に変化します。時には仲の良い兄弟のようであり、人生を教えてくれる親のようであり、すれ違う他人のようであり、人生を教えてくれる賢者や師のうでもあります。人との関係では気づきにくいような、けれど人との関係でとても大切な感情を、私は幾度となく猫から教わることがありました。

 

特に私の家でともに過ごした2匹の猫からは、多くのことを学びました。

1匹目は私が小学校2年の時、2匹目はその1年後に私の家に来ました。どちらも捨て猫で、家に来た日のことは2匹ともよく覚えています。沢山ひっかかれたし、沢山遊んだ。嫌いと思った日があれば、可愛くてたまらない日もあって、自分の思い通りにいかないことや、心配すること、生き物を大切にすること、世話をしなければいけないこと、小さい頃から一緒に生きて、本当にいろんなことを、猫をとおして知りました。

 

1匹目はペルといって、目が大きくて細身の、美人でやんちゃな女の子。目の周りが黒くきれいにふちどったような色をしていたので、クレオパトラのような気品がありました。なのでしばしばうちの家族は、ペル様と呼んでいました。

 

2匹目はしっぽという名前の男の子。ほとんど白い毛をしていたけれど、しっぽとおでこの辺りだけ黒や茶色がまざっており、生まれつきしっぽが短く少し曲がっていて、とにかくし っぽに特徴があったので、名前もしっぽになりました。大人になってもベビーフェイスのかわいい猫だったので、みんなしっぽちゃんと呼んでいました。(ちなみに10キロを超えるおデブちゃんでした)2匹は性格も体格も全く違っていて、あまり仲も良くなかったけれど、どちらも本当にかわいくて大好きでした。

 

そんな2匹の猫には不思議な話があって・・・
まず1つは、実は私の母が、私の一歳上の姉を産み、その後私を産んだあと、ほんとうなら2人、子どもを産むはずでした。残念な結末になってしまったけれど、生まれていたら1人は女の子、もう1人は男の子だったのです。なので母さんは、ペルとしっぽを本当の自分の子どものように可愛がっていたし、私も姉も 、本当の兄弟みたいな感じに思っていました。

 

 2つめは、しっぽちゃんが亡くなった時。しっぽちゃんは3年前の3月23日に命をまっとうしました。私はそれから1週間、仕事から帰ってきてはお骨の入った壷を抱きしめて泣く日々を過ごしてしまったけれど、これではしっぽちゃんが心配して、ちゃんと天国に行けないなと思い、お仏壇に手をあわせてしっぽちゃんにお別れを告げることにしました。

”はなればなれになっても、ずっと覚えているから、来世生まれ変わっても、また家族になろう。また会おうね。”そう、心の中で言い終わって目を開けたとき、お仏壇にそなえていた「樒(しきみ)」が、風の無い部屋でそよそよと揺れたのです。それから49日が経った日の夜、私はしっぽちゃんがいつものように元気にごはんを美味しそうに食べ、「なぁ~ん」と鳴いてすりよってきてくれる夢を見ました。お別れを言いにきてくれた。そう思いました。むこうで元気にしているよ、そんな姿を見せに来てくれたんだと思って、本当に幸せで、しっぽちゃんの優しさに涙があふれました。

3つめは、昨年ペルが亡くなった時でした。
ペルが亡くなったのは、9月23日。なんとしっぽちゃんと同じ23日。なんだかんだ仲は悪かったけれど、もしかしたらしっぽちゃんが心配して、お迎えに来てくれたのかな、と感じました。

 

ペルもしっぽも、それぞれ秋の彼岸と春の彼岸に亡くなりました。仏教の伝えで、彼岸に亡くなるのは『天寿を全うし、良い人生を送ったこと。さまようことなくあの世へ行けること。』を意味しているのだそうです。それは飼い主として、兄弟として、心が救われるようなことでした。2匹は間違いなく、神様に愛されて生をまっとうしたのだと思います。

 

そして2匹の猫は、私たち家族に無償の愛を教えてくれました。ただ、生きていること。その存在そのものが、周りを幸せにする。でも猫たちは、そんなことを気にして生きているわけでは無かったと思います。そんな存在が、私たち人の身近にいること、それ、そのものに大きな意味があるんだろうと思うのです。

 

私の大切な兄弟は、旅立ってしまいました。けれど道端で出会う猫、ネコカフェにいる猫、誰かの家族の一員の猫、全ての猫が、人間同様、幸せであってほしいと思う。全ての人が、同じように平和には暮らせない世の中で、猫もまた同じであると分かっています。けれど多くの人に幸せに生きてほしいと思うように、猫もまた、1匹でも多く幸せに生き、天寿をまっとうしてほしいと願っています。

 
私はそのために、しっぽとペルというかけがえのない猫たちの思い出を抱きながら、日々愛をもって猫の絵を描き続け、猫が人にとってかけがえのない存在であること、猫たちが無言のうちに教えてくれる大切な感情を、より多くの人に伝えていきたいと思うのです。

​#23 by 辰巳 由記(Yukichi)

#22 デジーと柿(コケラ)

March 28, 2018

鯖トラのデジー♂との出会いは、私が当時大阪でラジオDJとして担当していた番組の元スタッフだった女子が、めでたく寿退社をしご主人の実家のある名古屋へ引っ越した時でした。

 

無事に引越ししたかなあと思っていた頃、彼女から焦った感じで電話があり何ごとかと思えば「あの、えっと、引っ越したマンションの部屋の外の給湯器のところにダンボールに3匹子猫が入って捨てられてて、、、RIOさんまた猫、飼いたいって言ってましたよね?」と。

 

そういう電話でホッと胸をなでおろしたと同時に「うん、1匹引き取る」と即答。残りの2匹は後輩女子DJのお家へ。

 

デジーは元気いっぱいの男の子で、耳が大きく顔が逆三角の美男子!もうそれはそれは可愛くて可愛くて、毎日、毎時間、少しづつ大きくなる姿を見逃すまいとなるべく早く仕事を終えて家へ帰ったり、飲みに行く機会もこの時ばかりは減りました(笑)

 

出会ってから毎晩一緒に寝ていたのですが、小さい時に母親猫と離れたせいか毛布を食べる癖(ウールサッキング)があることがわかり、シーツにくるんだ布団に買い変えたり、カリカリでもウェットフードでもあればあるだけ食べて、毎日吐き戻したり、水もあまり飲まないので尿がうまく出ず、とにかく病院へ何度も駆け込みました。

 

本当に何かと手のかかるデジーも気づけばもう6歳。マシになったとはいえ、未だに吐き癖もあり、私の姿が少しでも見えなくなるとお隣さんまで聞こえる声で延々と泣き続けたり、時々でるウールサッキング、さらには私が忙しかった時期に布のソファーにおしっこする癖がついたり、、、なので、もうもう本当に、未だに手がかかるデジー。

 

それに比べて、ちょうど1年差で大阪の本町を1匹(当時2,3ヶ月)で闊歩していたところを保護した友人の友人から譲り受けた三毛猫の柿(コケラ)♀ちゃんは2,3ヶ月のベイビー時代から、大人の女性、いや貴婦人のようでした(笑)威嚇しながらビビりまくる1歳ちょっとのデジーと初対面させたときもコケラは「ふーん」という感じで騒ぐ男子(デジー)をあしらっている感じでした。

 

コケラはとっても猫らしくて、嫌いな味のフードは断固として食べなくて、自分の適量分だけ食べる、人には絶対に噛みつかないし、引っ掻かない、水も程よく飲み快便。病院に一度連れてったことがありますが、デジーと喧嘩して目を引っかかれて腫れていたという外傷だけ。全く手がかからず家に来る人に「綺麗ねー美人ねー」と褒められるザ・猫です!

そんな2匹はたまーに喧嘩もしますが、いつもはとっても仲良しで冬場は毎日一緒にくっついて寝ていますし、狭いウォーターサーバーの上にぎゅうぎゅうで乗っかっていたりします。

 

そして私が忙しいこともあり、2匹が小さい頃からお世話をしにいろんな人が出入りしてくれていたので人見知りは全くしません。

家に誰が来ても膝に乗ったり、全員の足の臭いを確認したり人間と仲良くしています。

 

大阪から東京への車での引越し、そして都内でのタクシーで40分ほどの引越しで、ちょっとその間は辛そうでしたがいつも同じケージやキャリーバッグを側に置くようにしていたので新しい家に馴染むのは早い2匹でした。

 

私が今住んでいる町は、野良猫が多くアパートの大家さんは何匹も自分の外猫として虚勢手術や避妊手術を済ませ連絡先を書いた首輪をつけさせて、面倒を見ていました。私もそんな風に多くの猫たちの面倒をいつか見れたらと思っていますし、本当は1匹でも多く家で引き取ることが出来たらと思っています。

 

今は余裕がありませんが、心から1匹でも多くの猫が温かいお家で過ごせるように祈っています。

#22 by RIO UMEZAWA

#21 猫アレルギー

March 26, 2018

「、、、、」

咳が止まらず、喉がつまり息ができない!

アートと暮らし始めてすぐに、もしかしたら猫アレルギー?という言葉が幾度となく頭をよぎる、けどこれはぜったいに咳風邪の症状と私は思いたかった。ある日、とうとう我慢できなくて病院に行くと血液検査の結果、重度の猫アレルギーと診断され、気管支喘息を発症していた。それが3年前、クリスマスイブの悲しい宣告。生後1ヶ月半の猫(アメショーチンチラミックス)アートと暮らし始めて2ヶ月経った頃の話。

初めての里親になるまで猫アレルギーだなんて想像もしなかった。お医者さんや家族からは手放しなさいと言われ、自分のやり場のない体質に落ち込む。慣れない吸引器を使っていると、足元で私を見上げる小さなアートと目があう。さあ、どうしよう?

でも何かやれることはあるはず?ネットで猫アレルギー対策を調べる、猫の毛についた皮膚片にアレルギーは反応するらしい。まずは朝一に夜中に床に落ちた猫の毛を拭き掃除して、ブラッシングして極力抜け毛を先に減らしてから1日を一緒に過ごすことにした

 

アートを触ったらすぐに手を洗い、抜け毛を吸い込まないようにコロコロを側に常備した。できるだけマスクをして過ごし、強力な空気清浄機&掃除機も購入した。

一緒の布団に潜り込んで寝ていたアートも何かを察したのか、、それからは別の部屋で寝るようになった。春が来る頃には免疫が少しできて喘息も収まり吸引器もやめて普通の生活に戻ったけれど、軽い咳と目の痒みは治まらず、もう少しの辛抱と花粉よけのメガネをかけて生活をした。

 

咳もすっかり治まり、3年経った今では布団の上でアートもリラックスしてふたたび寝るようになった。朝掃除は欠かさず続けているので、さほど神経質にならず仲良く暮らしている。猫は飼う人を自分で選ぶという、ならば私の猫アレルギーを治すためにアートはうちに来てくれたのかもしれない。荒療治だったけれど最近はそう思える。

 

最近ようやくもふもふのアートを顔の近くで抱けるようになった。少し顔は痒くなるけれど(笑)猫アレルギーはコロコロと愛があれば克服できる病気だと私は思った。(注*あくまで猫アレルギーを克服した個人的な見解ですので、まずは専門医にご相談ください)

​#21 by Naomi Ono

 

#20 「ホクロという名の猫」

March 26, 2018

江戸っ子の私は50才迄東京に住んでいました。
その頃に地域猫のボランティアをしておりました。

片目の無い猫や体の不自由な猫、人間に虐待された猫、年老いた猫、飼い猫だったのに捨てられた猫・・・様々です。
地域猫のボスで長老だったのが「ホクロ」という名の猫です。

「ホクロちゃん」は、事故かケガで歯が全くなかったので、ご飯は細かく刻んだり柔らかくしたりと自分なりに工夫していました。
彼は、もともとは飼い猫だったのが、追い出されてノラになった猫です。

猫徳があって、愛嬌があって本当に愛してやまない猫でした。推定20才まで生きてくれましたが、後半は腎臓病になり、悩んだ挙句に病院へ連れて行きました。

前に可愛がっていた黒猫の「オッポ」(オッポが鍵のように曲がっていたので命名)が、出張から帰った深夜に私を家の敷地内で待っていました。「お別れ」です。ものすごい雨の日でした。それ以降姿を現さなかった。。。それが、ものすごくショックで、何かできる事は無かったのか・・・早く気づいてあげられなかった自分を責めたりしました。

そういう事もあって、「ホクロちゃん」を病院へ連れて行ったのです。あと数か月で、私は奈良に引っ越ししなければならず、「ホクロちゃん」を連れて行きたくてどうしたら良いかと悩んでいた時期に、察したように「ホクロちゃん」は、天国に行ってしまいました。

 

最後まで、自室で看病して看取れたのが良かったのか・・・病院になんて連れて行かずに自然に任せた方が良かったのか・・・今でも自問自答することがあります。

彼の猫生を共に歩みましたが、学ぶ事がたくさんありました。私自身、障害を抱えておりますが、彼らは「生きる」事に一生懸命です。そして、信じてくれたら絶対に裏切りません。

ペットを飼いたいと思っている方へ、、、
ネコノミクス等と世間では猫ブームですが、どうか動物にも人間と同じ「命」があり、その重さに変わりないという事を十分に考慮して、責任を持って家族として迎えてあげてほしいです。

彼らは、人間のように多くを望んでいません。お腹を満たすご飯と安心して眠れる場所と愛情(猫でも人間でも)・・・「感情」も同じようにあり、そのまっすぐに生きる姿に、私は、逆に彼らに助けられました。それをきっかけに猫アクセサリーの製作を始めました。

私自身の小さな夢は、大好きなアクセサリーを作りながら里親制度を利用して自身の責任がとれる範囲で、最期まで共に過ごすパートナーである猫・犬を家族に迎える事です。

どうか猫に限らず、物言わぬ動物たちが1匹でも幸せになれますように祈りを込めて・・・

#20 by PLAY2nd 酒井智子

#19 比喩でなく捨てられていた猫のこと

March 25, 2018

※15年前のある日の話です。

その夜は、パソコンに向かって書き物をしていた。
(よし、今日はこれでおしまい)
ディスプレイから目を離し、周りの情報を取り入れ始めたとき、外から断続的な音が聞こえた。

「びぃ、びぃ、びぃ、びぃ」

「び」とも「み」とも「に」ともつかない音は、かすかだけれども、こびりつくようだった。

気になって、窓を開け、もう真っ暗な道路を見回した。(当時は結婚したばかりで大阪市内のマンションの2階に住んでいた)幸か不幸か、目だけはいい。向かいのマンションの階段の前で、モゾと何かが動いた、ような気がした。

目を凝らすと、黒いこぶし大の固まりが2つあるように見える。なおもその2つの固まりを注意深く見ていると、そのうちの1つが確かに動いた。僕は、入浴中の妻に声をかけた。困った声だったに違いない。

「……外で子猫が鳴いてる。多分」厄介なことになった、と思っていた。

家にはすでに猫が1匹いた。新たに2つの命を抱えるということが、とても難しいことに思えた。(当時は「里親さんを探す」という発想がなかった。当然、のちに9匹の猫を飼うことになるなんて、このときは想像もしていない)

声や大きさから、生まれて間もない子猫であることは想像ができた。すぐに死んでしまう気がして、それも憂鬱だった。

(見間違いならいい)と思いながら、向かいのマンションの階段に向かった。やはり子猫だった。まだ目も開いていない。生後1週間くらいだろうか。そばにはプラスチックトレーに入った水が置かれている。

迷い込んだわけでも、産み落とされたわけでもなく、まぎれもなく人間によって捨てられていた。片方の固まりが声の主だった。あらん限りの声で鳴きながら、モゾモゾと動いていた。「鳴くこと」と「モゾモゾすること」ができることのすべてだった。この猫はできることをすべてしていた。

もう片方は、できることが何もなかった。つまり、死んでしまっていた。まだ温かかった。やりきれない気分で、2匹を家に連れて帰った。

猫に見えないこともないけれど、それ以外の動物に育っても決して文句は言えない、と思うほど、なんだかわからない生き物だった。体重を計ると、170gだった。

僕は、ただオロオロして、何の役にも立たなかった。妻は同じような状況を何度か経験していて、処置はすばやく的確だった。妻が「今晩さえ生きて越せればなんとかなる」と、言い聞かせるように言った。重苦しい。すでに死んでしまっていた子猫は、ペット専門の葬儀屋さんに引き取りに来てもらった。葬儀屋さんに「猫ちゃんのお名前は?」と聞かれ、返答に詰まる。

保護したばかりであることを告げると、葬儀屋さんは「じゃあ『子猫ちゃん』にしておきますね」と言いながら、書類の名前欄に「子猫ちゃん」と書いた。僕たちの心配をよそに、子猫は元気に育った。保護してから10日後、先住猫に会わせてみる。意外と大丈夫そうだった。

その日、子猫を「くう」と名付けた。「空」と書いて「くう」。本当は、黒っぽいから「くう」で、「空」は後から当てた漢字だ。子猫の頃のくうは、暴れ方が尋常じゃなかった。猛ダッシュで走り、ノーブレーキで頭から壁に激突したり、柱を抱えてよじ登ったり、縦横無尽だった。(借家だったので気が気じゃなかった)

いまだに子猫の頃のくうよりやんちゃな猫には、出会ったことがない。そのやんちゃも2歳になると急に収まり、一転、とてもおっとりした性格になった。子供からすぐおじいちゃんになったみたいだ。たぶん生まれてすぐに、全力で鳴きすぎたから、その分落ち着くのも早かったのだろう、と思う。

 

170gだった体重が、今や6.2kgだ。たぶん生まれたとき隣にいたもう1匹の分まで大きくなっているのだろう、と思う。

​#19 by  仁尾智

#18 遠い記憶

May 14, 2017

小学生の頃、夜逃げ同然で引っ越したことがある。

子供だったので夜逃げなんて言葉も意味も分からなかったが、飼っていた猫を連れて行けないということは分かった。泣いて訴えてもだめだった。

 

引っ越した後、母は一度家に戻り猫に腹いっぱいご飯を食べさせた。引き取ってくれる人が見つからなかったのだろう、母は家の前に猫を残した。私は引っ越しが大嫌いになった。

 

数年後の土砂降りの日、母の前に子猫がよろよろと出てきたそうだ。びしょ濡れで必死に鳴いていたらしい。その日からまた猫のいる生活が始まった。

 

それから何匹の猫を飼っただろう。2匹ほぼ同時に子供を産んだ時は11匹の大所帯になり賑やかな毎日だった。いろんな子がいていろんな事があった。

 

あの置いて行ってしまった猫の名前が、どうしても思い出せないことに気がついた。実家に帰省したときに何気なく聞いたら、母は悲しげでひどいことをしたと言った。しばらく無言でいたがチロだと教えてくれた。

 

私も今猫のいる暮らしをしている。唐突に猫が飼いたいと思って1ヶ月もしないうちに、保護された子猫を飼わないか?と知人から連絡がきた。

 

水を飲んでるとき正面から見ると可愛い。私にお尻を向けて隣に座っているのに気がついたときの幸せ。足の間をぬらりぬらりと歩かれて転びそうになるけど満面の笑みで細心の注意で。顔面に体をなすりつけられても思わず笑ってしまう不思議。

 

たまに思う。もふもふのあの大きさは人間の腕にフィットするようにできていると。この5年本当に楽しかった。まだまだよろしくお願いしますよ、花さん。

​#18 by from..k

#17 それは一枚の写真から

May 13, 2017

「シロ、シ~~~ロ」カンデ公式Facebookに一枚の写真とこの一言が添えられてました😸

 

何気ない一枚の写真。この記事が深く印象に残り、そこからシロちゃんとの日々が始まりました。カンテの中津本店ではじめて会った時、雑貨の棚の下でスヤスヤ寝ていて相手にもされなかったシロちゃん。でも、いろいろアドバイスをいただき、定期的に会いに行くようにすると、そのうち寄ってきてくれました。

シロちゃんを介していろいろな方と知り合い、いつの間にか毎週金曜夜の集まりが、誰が言うともなく「ネコ会議」と言われるように。シロちゃんはFacebookを通じて「顧問」「マダム」ある時は「淡谷のり子」などとも言われてました。

 

「マダム」シロちゃんは、テーブルに品が運ばれてきた時や、ラストオーダー時の会計時にむっくり起き出して厳しくチェックしたり、閉店時間には店内を巡回して見回りするなど、店舗業務をこなしていました😸そして僕に慣れてくると、シロちゃんは様々な事をお命じになりました。

 

外へ出る時はニャーと催促しドアを開けるように。また外から中に入るときも我々の座っている席に向かってニャーと、まるでドアマンのようにつかわれました(^^;;ある年の1番初めの営業の時、ネコ会議メンバーで、シロちゃんの最初の子供であるチャイちゃんを引取られた方のマッサージに完全にハマったシロちゃん。早速師匠に手ほどきを受け、シロちゃんのお許しがでてからは、シロ専属マッサージャーとしての業務も加わりました。

シロちゃんがおもむろに背中を向けてこちらを見たらマッサージの合図。それでもしなかったらダメ押しのニャーがあるほどマッサージをお気に召したようでした。関わった時にはすっかりおばあちゃんネコだったシロちゃんでした。

そんな夏のある日、普段どおり庭をポコポコ歩いたら、入口付近で突然信じられない高さまでハイジャンプ‼︎そして何事もなかったようにポコポコという事がありました。普段のポコポコ歩きそして年齢からは想像も出来ない運動能力。ひょっとしてあのジャンプは夏の日のまぼろしだったのか。

シロちゃんが旅立ってからもうすぐ2年。実際関われたのは最晩年の僅か3年ほどでしたが、今でも入口付近を見るとと、時折あの光景がいまだ頭から離れません。

ーシロちゃんとの思い出ー

#17 by Ryouta Nakanishi

#16 ロクとニー

May 11, 2017

5年前、近くのJAに買い物に行く道によろよろでてきて、目の前にぺたりとへたばったのがこの二匹。もう買い物どころではなくJAで箱をもらい、そっと抱えて連れ帰りました。

 

当時、14歳になる先住猫のミミは極度の猫見知りで帰ってこず。申し訳ないけどこの子たちの命を救わねばと世話に集中しました。6月22日に来たので「ロク(ハチワレ)」と「ニー(茶トラ)」と名付けました。

うちは最初に来た猫以外は代々、生まれた猫と拾われてきた猫ばかりで、もう45年のつきあいになります。幸い一週間ほどで元気になり、ミミも少しずつ慣れて一緒に寝るようになりました。いつも「ミーコさんが一番、お前たちは次」と決めていたのが効いたのかな?

ミミはもう猫の国に行ってしまいましたが、慎重で臆病でもいざという時には強いニーの長男ぶりと、何にも考えていない天然やんちゃなロクの次男っぷりには「兄弟でよくもこんなに性格が違うものだ」と家中で笑いが起きています。鼻水ぶしゅがありますが、とても元気な二匹をミミも見守ってくれているでしょう。

​#16 by キャベツ猫

#15 しぶきくん&やえちゃん

May 04, 2017

11年前の4月6日
次男坊が小学校の登校日の帰り道、洗剤のアタックの箱に入れられていた3匹の子猫を発見❗️まだ目も開いておらずへその緒もついていた状態でした。

 

急いでペットショップへ駆け込み、栄養価の高い新生ネコ専用のミルクとスポイドを購入しとにかく命を助けたくて家族24時間体制交代制で頑張ってみました。幸いな事にみんなスクスクと成長し我が家に当時、シーズーのワンちゃんがいましたので里親さんを探すことに。

2匹はみつかり、そ
のご家庭を慎重に調べさせて頂き、安心できると確認がとれたので1ヶ月後にお渡ししました。最後の1匹...とうぜん、里親さんみつかりました。でも...私たち家族はもう手離したくありません。我が家の家族として正式に迎えることにしました。それがしぶきくんです(クロネコ)ところがしぶき、1匹になって寂しいのか泣き続けて泣きやみません。そして考えたのが、そーだ❗️里親さんになってもう1匹迎え入れよう❗️

PCにかぶりつき、みつけたのがやえちゃんです(ハチワレさん)この子は神戸で同じように捨てられていた子。あちらの親御さんと何度も面会し5月13日にやえちゃんを正式に我が家の家族に迎え入れることになりました。

そこから1ワン、2ニャンとの生活が始まりました。ワンとニャンたちはとても仲良しでいつもくっついて寝てました。残念な事に2009年にゴロンダ(ワンの名前です)は虹の橋を渡ってしまいました。

今はしぶきくん、やえちゃんそしてゴロンダの死後3年後にこれまた次男坊が拾ってきた子猫チョコちゃんの3匹のニャンたちと幸せに暮らしています。毎日この子たちにとても癒され幸せをいっぱいもらっています。

​#15 by Kiseyo Tsuji

#14 へちゃさん

April 30, 2017

へちゃさんが実家に来た時は目ヤニまみれで、毛玉だらけ。痩せ細って酷い有様でした。

 

出会いは里親募集で、ブリーダーさんが世話ができなくなった子を実家に一匹譲っていただいたのですが、さらにもう一匹お願いできないかと言われ引き取りました。それがへちゃさんです。

 

来た時は熱もありました。獣医さんには風邪をひいているし猫エイズになっているので他の猫と離して飼った方がいいと言われたそうです。お腹も壊していてちっとも治らず、年配の母は世話に疲れてきたようでした。なんだかへちゃさんも母も可哀想でした。

 

私は実家をはなれ1人暮らしをしていたのですが、へちゃさんをひきとることにしました。うちなら他に猫もいないので自由にできるし、お腹壊してあちこちでしてしまっても掃除すればいい!最後まで看取ろう!そんな決意でへちゃさんを迎えたのです。

 

ところがうちに来たへちゃさんは人(猫)がかわったようにみるみる元気になり、走りまわるようになりました。毎日お腹を壊していたのがウソのように快食快便になりました。寝る時は夏でも一緒の布団に入り腕枕で寝るなつきようで、今ではお互いなくてはならない存在になりました。あの時決断をして本当に良かったと思っています。

​ #14 by Satsuki Kuroiwa

#13 3つの偶然

April 29, 2017

子供達が大きくなって来たので家族を増やそうと思っていた頃のお話です。 

 

当初はワンちゃんで考えていたのですが、友人宅にて息子の犬アレルギーが発覚し、猫さんで探しはじめていたころのお話です。いつも行くスーパーで見た貼り紙が最初の出会いでした。

 

家に帰り家族に話をし、写真を見せ、家族会議です(笑)子供達が迎えたいと満場一致だったのですが、お世話等きっと私がすることになるんだろうな...と思いなかなか踏み込めずにいました。「見に行くだけなら....」と思い主人と2人で貼り紙のお宅に伺い会いに行ったのですが、その日にそのまま家族になりました❤︎

 

然さん含め4匹の仔猫がそこには居ました。当時人気のあった猫種のmixだったのですが、内2匹はその猫種の特性を受け継いでいましたが、然さん以外の3匹は元気いっぱいに動き回って居たのですが、然さんだけおっとりしていてその上口の周りが白くちょっとお間抜け感がたまらず、気づいたら「このコを譲ってください」と申し出ていました。そのお宅の方は猫種の特性がない事を気になさっていたようですが猫種の特性よりも何よりも然さんしか見えない状態でした。一目惚れをしてしまったのです。

 

うちに来た時は4ヶ月でしたが、はじめての猫さんで日々ドキドキでした。そんな然さんも4年が経ち今では立派なあまったれ猫に成長いたしました(笑)私が家にいる時はどこでも付いてくるし、ソファに腰をかければ膝にのせろ。と催促はしてくるし、乗れないように体育座りをしていても後ろから無理くり人の間におさまろうとしてくる可愛い甘えん坊です。

 

息子が犬アレルギーじゃなかったら。犬アレルギーなのに猫アレルギーはなかったという奇跡(お医者さんには猫アレの方がきついから犬アレがあったら猫アレを併用してる人が多いのに珍しいと言われました。)私がスーパーの貼り紙に目を止めなかったら。あの日に会いに行かなければ....3つの偶然が重なり出会いました。

 

猫さんと生活するのが初心者なのを知ってるかのようにいいコです。今までシャー!と怒る声も聞いたことはないくらい穏やかなコでとにかく常に私の目の前に居てくれます♪今は然さんなしじゃ考えられないくらいに幸せです❤︎猫と生活するまで猫さんの魅力にきづいていませんでした。

 

皆様にも素敵な出会いと運命が起こりますように✨

 

然さん(4)♂

 

#13 by :mocyokoi

#12 相棒猫のペディ

April 27, 2017

私がベッドに入ると、すーと布団の中に入ってきて、ごろごろのどをならしながら両手で交互に私の体を押し当ててマッサージして腕の中で眠りにつくペディ。

私の相棒はペディと言います。生後二ヶ月で私のもとにやってきました。子供の頃は、家族で数匹飼っていたのですが一人暮らしを始めてからは一緒に暮らす機会はありませんでした。

 

ある時期、日常の忙しさに追われながら心にゆとりが必要だった私はいつもなら思わないことなのですが、その時なぜかふさふさした猫をおもいきり抱きしめたい!と思いました。まさかその後、本当に実現することになるとは考えもしませんでしたが。

 

翌朝、友人から一本のムービーが送られてきました。可愛い小さな生まれたばかりの子猫たちが気持ち良さそうに寄り添い眠っていました。

「可愛いですね」と素直にお伝えすると「一匹もらいませんか」と言われました。私の中で驚きと運命的なものを感じました。

実際に子猫を育てていたのはミュージシャンの若いご夫婦でした。生まれたばかりの子猫たちを愛情深く育てていらっしゃったので初めてうちに来た時もペディはお二人にとてもなついていてとても幸せそうでした。だからこそ、自分も大切に愛を注いでいこうと強く誓いました。

 

ペディという名前は私の友人がつけてくれました。昔、私が音楽の仕事で携わったクラシックのジムノペディという名曲からとりました。名前を呼ぶ度、親しみがわいて、どんどん好きになります。

 

私自身を愛で満たしてくれているので、自分から生まれる音楽はきっとペディのおかげだと思います。色々なことに興味津々でちょっと臆病で、音に敏感なのは似てますね(笑)

 

こないだまさかの脱走されたときは、脱走したらもう二度と会えなくなると思いました。親になったという実感はあまりないかもしれません。ただ、絶対に守るという責任は感じています。それがペディの親になるということなのかもしれません。

 

成長していくペディのふさふさの体を今日もよろこびいっぱいで抱きしめています。一瞬一瞬を、愛おしく温かい時間に変えてくれたペディとご縁を繋いでくれたご夫婦と友人たちに感謝です。そしてこれからも。よろしくね。ペディ。

 

​#12 by Nao Watanabe

#11 はじめての外泊

April 27, 2017

「いないなぁ?」と思っていると、どこからかひょっこりと真顔で現れる。足音もたてず、いつもなら、、、。

 

ある深夜。

たいてい僕の枕の横でお尻をむけて丸くしているのに、姿がない。

たまに違う部屋で寝ていることもあるので、その夜もそうかと。

 

翌朝、妙にシーンとしているので嫌な予感がする。

家中どこを探しても見当たらない。住んでいるマンションの下の階のお宅に聞いてみる。

 

すると、専用庭にあるエアコン室外機の下に潜んでいたようだ。

臆病な家猫なので、ひと晩をそこでジッとして過ごしていたに違いない。

 

連れて帰ると、静電気のせいだろうか?  尻尾がいつもよりフサフサと大きく揺れている。

 

「あれっ? ホントにウチの猫かな、、」

疑ってみたが、背中にある禿げ (生まれつき)を見てひと安心。

リビングをひとまわりして、ペタンと座り、ペロペロと毛づくろいをはじめた。

 

普通に猫のいる生活が、また目の前に。

なにごともなかったかのように。

 

 

名前は「サク」、男のコ、保護猫。

子猫のときにウチに来て、それから4年くらいかな。

まぁまぁ顔はシュっとしているが、まぁフツウ。

 

#11 by  ジョンB(ウルフルズ)

#10 奇跡のハチワレくん

April 26, 2017

とある日、カンテでのネコ会議の最中に突然、妻の妹から保護ネコの里親募集の話がはいりました。うちは賃貸で規則があって引き取れないので、他の方をあたろうと考えてましたら、井上さんが「これも縁やしね( ´ ▽ ` )」の一言。そこで当時インコを亡くしたばかりの妻の実家に話をし、一度お試しでネコをお泊まりさせる事になり、そのまま家族の一員となりました。

 

保護ネコは出身の京都にちなみ「マロ(麻呂)」と名付けられました。お上品な名前に似合わず、臆病な性格ながら好奇心旺盛で、たまにヤンチャな事もするものの車だけは苦手なご様子なのです。(汗)来た頃ら手のひらに乗るくらいの大きさだったのが、今や体重7キロ越えになるまで育ち、抱えないといけないほどになりました。

 

昨年これもご縁があって保護されていた、メスのシャム猫(シャルルと名付けられました)を家族として迎え入れた時、マロはどうして良いのか混乱していましたが、最近は兄としての自覚も出て来て兄妹は仲良くしています。

 

後から聞いた話によると、保護された方が仕事帰り車を運転していると時々前方から「ニャ~ニャ~」との声がしていたそうです。結局京都から四條畷まで走り、駐車場でエンジンルームを確認すると、小さなハチワレネコがひょっこり顔を出した…。熱くなってたであろうエンジンルームから奇跡的に保護されたマロ。「縁」あって妻の実家の一員となり、今はゴハンの要求は半端なく、たまに外に飛び出したりしますがみんなの癒しキャラとして元気に暮らしています。

写真上・やって来た頃のマロ/写真下左 ・妹のシャルル(シャム猫)/写真下右 ・今のマロ

​#10 by  Ryuta Nakanishi

#9 福猫、くうたん

April 24, 2017

昨年6月に、大学生の息子が捨て猫をひらってきた。その猫は400グラムの小さな赤ちゃん猫でした。私は突然、母猫になってしまったのですが、何を食べさせたら良いかもわからずてんやわんやで(笑)オシッコも自分でできず、ウェットティッシュで触ってあげると、じわーっとオシッコが出て来たのを思い出します。

 

息子は子どもの時から猫アレルギーだったので、連れてきてもうちで飼えるはずもなく、凄く困ってしまいました。里親を探したのですが世話をしてるうちに愛着が沸いた息子がどうしても飼いたいと言い出して、結局くうたんをうちの家族に迎えることになりました。

 

それからくうたんと暮らし始めて、考えられない事が家族に起こるようになりました。仕事で毎日忙しい主人は、家で動物を飼うなんてあり得ない人でしたが、今では仕事から帰るとスーツのまま真っ先に、くうたんをダッコしています。息子との口ケンカもなくなり、くうたんがみんなのかすがいになってくれてるような、我が家の大切な福猫ちゃんに思えるのです。

 

今ではすっかりイケメン猫になったくうたん!シャワーをしているとドアの前でちょこんと座って待っていてくれるくうたんを見ると、愛しくてキュンとなります。お腹がすくとゴハーン(空耳か?!)となくのは、うちだけかな〜?うちの子になってくれてありがとう!

#9 by Fumiyo Takemura

#8 彼らの仕事は愛である

April 24, 2017

ただいま明け方の5時。
うちでは一昨日親とはぐれて丸一日ぴーぴー鳴いていた仔猫を保護したところなのだけど、親が野良でトイレトレーニングなど知らない仔猫は約15分前に私のお腹にオシッコ。夜明けに洗濯を余儀なくされた。遡ること1時間前、先住猫のお兄ちゃんが仔猫への嫉妬か、はたまたこいつに力関係を教育するためか私のお布団に放尿。
ここまでされても腹が立たないのが、猫である!!

全幅の信頼か、お調子がいいのか、気まぐれしたい放題にしても無垢な瞳に見つめられ、甘えられようもんなら人間はメロメロになる。ちなみに私はどちらかと言うと怒りん坊である。彼らの仕事は愛!!!ひとを愛するのではなく(愛してるかもしれないけど)ひとに愛させるから凄い。

 

*写真は先住猫のお兄ちゃん(茶トラ)とティファニー(白黒ハチワレ)箱ごときで夢中になり大活躍気分中のおふたり。

​#8 by Yuko Tamura

#7 サクラ猫のナツオとハルコ

April 22, 2017

去年の8月から我が家の家族になった、サクラ猫のナツオとハルコ。避妊や去勢手術をすでに受けた証として耳にカットが入った野良猫達は、その耳のカットが桜の花びらのように見えることから、サクラ猫と呼ばれています。この猫達にはお世話をしてくれる人がいます。だから、この野良猫達をこのままこの地域で住まわせてやってくださいと言う証でもあります。

ナツオとハルコは元々隣町の公園で暮らしていた野良猫達でした。でもその公園で猫が虐待される事件が起き、人馴れしてたナツオとハルコはシェルターにやってきました。でも他の猫達と上手くいかず、ナツオはストレスで体の毛がどんどん抜けてしまってました。

そしてそんな時にハルコが他所に貰われてったのです。元々夫婦だった2人。1人残ったナツオが心配で最初は一時的に預かるつもりでした。でもそれから半月経たずシェルターに出戻ったハルコも我が家で預かることにしました。我が家で再開した2人はすぐに一緒に遊び始めました。2人でいることが嬉しくてたまらないって気持ちがよくわかりました。

ナツオとハルコを家族にと思ったきっかけは、引越しすることになり当日シェルターに2人を返したことです。朝預けて夕方引き取りに行ったら、2人は階段の真ん中で寄り添って私達を待っていました。シェルターのオーナーもボランティアさんも寄せ付けずご飯も水もとらなかったそうです。新しいお家に連れて帰ったら、2人で仲良く探検してそれからご飯もトイレもたっぷりと(笑)もうこの子達はうちの子のつもりなんやなって、私達を家族に選んでくれたんやとわかりました。

正式に我が家の家族になった2人はどんどん新しい面を見せてくれます。出来ることがまた増えた!って子供の成長を見てるような気持ちで毎日を過ごしてます。ハルコは毎朝、お布団をカリカリカリカリとやって起こしてくれます。休みの日も朝早く起こしてくれます。ちょっと困った目覚まし時計です。夜はかーちゃんのお腹の上で寝ます。9時過ぎると早く布団に入れと必死でよびます。気に入らないコトがあると、横になってるかーちゃんを踏みつけて歩いて行きます。

ナツオはかーちゃんがあげたオレンジ色のリボンが大好きです。ネズミのおもちゃも大好きです。大好きなオモチャは取られないようにお腹の下に隠します。かーちゃんが帰ってくるとオデコゴッチーンをしてくれます。でもかーちゃんが何回も出かけると出かけ過ぎ!と猫パンチをくらわせます。寝るときはかーちゃんの枕元です。あ、ナツオのハゲた体はすっかり毛が生えました。

大人になって我が家に来た2人だけど、それでもちゃんと家族になれました。いつも一緒にいてくれる大切な家族です。2人がいてくれるだけで、かーちゃんも娘も幸せな気持ちになれます。これからもずっと家族4人で暮らしていけたらと思います。

​#7 by Junko Hashimoto

#6 ブルブルちゃんとチビちゃん

April 22, 2017

うちには2代目猫の、ブルブルちゃんとチビちゃんがいます。

初代のブルブルちゃんはよく喉をならす猫ちゃんでした。撫でてあげたりする時はもちろん、寝間に入ってくる時などもブルブルブルブルブルブルブルブルと喉をならしながら入ってくるほどで、よく喉をならす猫ちゃんだったのでブルブルちゃんという名前になりました。この子は近所の猫おばさんがまだ目もあいてないときに拾って母猫になり、育てあげた猫ちゃんでした。

 

チビちゃんは2月寒風吹きすさぶ夜中、隣のお宮さんにダンボールに入れて捨ててありました。この子もまだ目もあいていない、とても小さくて生まれて間もないような子でした。あまりに悲しそうな鳴き声を聞いてしまうとほっておけなくて、僕が母猫になりました。あまり小さかったのでチビちゃんと名付けました。

 

1日に何度も猫ミルクをあげるので仕事先から2時間おきに帰っては、母猫になるのはとても忙しい日々でした。そのうちこの子が糞詰まりになってしまった時には獣医さんに笑われました。誰もが早く大きくしようとして濃すぎるミルクをあたえるからだと。皆さん同じことをしていますニャンと言って笑ってました。ブルブルちゃんは男の子で大人になってからもよく甘えてましたが、チビちゃんは僕が育てたにもかかわらず、しらんふりをしていました。そのことを猫おばさんに言いますと、メスはあかんねん勝手やねん!とのことでした。人間も同じですね。この子たちはどちらも21歳で旅立ちました。

 

ところで2代目の、猫ちゃんに同じ名前をつけたのは見かけが似ていたことと、パチンコで隣に座っていた猫好きな沖縄から来たおっさんが、猫の名前は前の猫の名前をつけるのがいいと教えてくれたからです。僕は人の言うことをすぐ信じてしまいます。理由は聞かなかったのですが素直に従ったのです。この子たちはどちらも女の子なのでやはりしらんふり系猫ですかね。ちょっと不満ですが、猫は気ままで僕みたいないい加減な者は気楽に接してあげられるので、そこが魅力でもあります。僕はもう74歳になってしまって猫ちゃんたちはまだ5歳なので、ぼくの死後は面倒を誰かに頼んでおかなくてはなりません。しかし後にいる引き受けて手は優しいので安心です。

 

子供の頃から家には常に猫がおりました。初代の猫は白黒八割れのニイちゃんと言う近所のボス猫でした。当時は去勢など聞いたこともない時代だったので、洗濯を済ませたばかりの衣類をたたんで置いてたりすると、マーキングを堂々としてしまうのでした。また近所の叔母さんが、さも憎たらしそうなつり上がった目つきで、僕に言いました。こいつ悪い猫や!!こないだ焼いてた鯛をかっさらって行ってしまった!!知らんがな(笑)。しかし当時は戦後でしたから、鯛は相当なご馳走だってのです。近所はまだバラックがけっこう建っていて、夕食時にはかんてきに火を起こし外で作っている家も沢山あったのです。とても迫力のあるニイちゃんでした。

 

その後も猫ちゃんは常にいました。なので仏さんを朝晩拝む時は死んだ人だけでなく、猫や小鳥や犬のことなども名前を思い出しながらチンチンと鳴らしますので、とても賑やかな朝夕のお参りになっています。 仏さんのお参りで思い出すのはお婆さんが読んでたお経、正信偈(しょうしんげ)です。往還回向由他力 証知生死即涅槃(オケーネコイウタリキ ショウジショウジソクネハン)とどうしても聞こえておりました。

#6 by Yasushi Inoue

#5 もうどこにも行かなくていいからね

April 22, 2017

我が家には、キラ♀(14歳)ルン♀(5歳)カロ♂(3歳)の3匹の猫がいます。

 

おはようからおやすみまでに、何時何度も、名前を呼ばれる猫達。

ご飯を食べてようが、昼寝をしてようが、赤ちゃん言葉で話しかけられ、カシャカシャと写真も撮られる。たいていは耳だけ動かし、知らん顔をしているんだけど、気分が良い時は馬のように跳ねながら走って来る。それは、たまらない可愛さなので顔をクシャクシャと撫でまくられる。まあ、こんな勝手な気分で猫に接しているのは家族の中で僕だけなんだけど・・・

 

この3匹は、どの子もペットショップで買った子ではありません。猫に優しく、 猫の知識も豊富な友達の家から迎え入れました。その友達は、生まれて間もない、まだ目も開いていない子猫が捨てられていると保護して、母猫のように世話をしながら育ててくれます。目が開き、トイレも自分で出来るようになり、ある程度成長すると、里親さんを探して新しいお家に送り出しています。猫の育児は簡単に出来る事ではないんだけど、当たり前のことのようにやっている友達を尊敬し、そして感謝しています。

 

その友達から、4ヶ月のメス猫を保護していると話をもらったのが5年前のこと。友達が引き受けるまでに、3軒の家を回り回っていたらしいです。無責任な俄かブリーダーの家で生まれて売られ、最初の家では小さい子供におもちゃ扱いをされた為、引きこもりになり手放され、次の家では、先住猫にいじめられて、仲良くなれないからと手放されました。そういった情報が耳に入った友達は、居ても立っても居られない気持ちで子猫を引き取りに行きました。

 

当時、我が家では11歳の愛猫がお空に行って間もなくだったため、悲しみが深く子猫の話を聞いた時も、すぐには迎え入れる気持ちにはなりませんでしたが、友達の家で、小さい体で先住猫達と無邪気に遊ぶ姿に心が動き、迎え入れたいと決心がつきました。それがルンとの出会い。

 

子猫には、我が家に来るまでに、別の名前が付いていまし た。でもルンには、ここが新しい居場所として、もうどこにも行かないでずっとずっとずっとこの家に留まり、幸せに楽しく過ごして欲しいという思いで“瑠音”(ルン)と名付けました。

 

今、ふとソファーを覗けば寝ているルンちゃんがいます。安心した寝顔に幸せをもらっています。

​#5 by Takashi Matsuda

#4 カンテと、猫物語

April 20, 2017

文章は苦手というカンテ元オーナーの井上さんに、シロちゃんとの出会いをインタビューさせていただきました。

>シロちゃんがカンテに来て、飼うことになったきっかけはなんですか?つらつら思い出したことお話しいただけますか、例えば誰が飼おうと言いだしましたか?そのメンバーにウルフルズはいましたか?井上さんは最初から飼うことに賛成だったのか?などなど〜順番は適当で結構です。

 

井上「シロちゃんは梅雨時に子猫を連れて庭の雨がかかりにくい片隅で子育てを始めました。しかし、なぜそうしたのか分かりません。

おそらく子育てをしていた場所が何かの理由で出来なくなったのか。子猫を一匹だけ連れて来たと言うのも普通なら数匹はいるはずなので何かがあったのかも知れませんね。

 

すぐ餌を上げようと近づくと、う〜っと威嚇しましたが随分空腹だったので警戒しながらもワゥワゥワウワウウウウ〜と食べ物の美味しさに声をあげながら貪りました。数日間は同じ場所で子育てをしていましたが、ある日ものすごい集中豪雨になり、シロちゃんはたまらず子猫を咥えてカンテに入って来ました。そのまま二階の雑貨ストックルームに避難して、そこで子育てをすることになりました。しばらくしますとシロちゃんは警戒心もすっかり無くしカンテの猫になりました。

 

シロが来た時にはウルフルズはもういなかっですね。誰が飼うか飼わないか、飼うのが当たり前なのは昔からのカンテでの空気でした。

シロ以前からカンテには猫がおりました。シロを抱いてる松本くんの写真は(ジュンイチくんが描いた絵の)取材でもう有名になってから来て撮ったものです」

 

>シロちゃんが来た時は猫はいなかったんですか?

 

井上「カンテ以外にも三軒ほど行く家があったようです。しかしシロはカンテを本拠としていました。シロが来た時は猫がいませんでした」

 

>いいお家を見つけましたね?

 

井上「近所の人の話ではシロちゃんはきょうだい二匹だったそうです。ファミリーマート前によくいたそうで来る客に餌を買ってもらってたらしいですよ(笑)カンテで僕が初めて餌をあげた時威嚇したのは、子猫がいたからですね。シロは賢いし人を全く怖がっていなかったようです」

 

>賢いですね。名前は誰がつけたのですか?

 

井上「僕がつけました」

 

>シロちゃんはたくさんのお客さんに触られて嫌じゃなかったのかな?

 

井上「カンテで何不自由ないときでも、神社の石垣に寝てお客さんがくれる好物を貰ってたようです。そして誰がくれるかもよく覚えていて、その人が通るとニャ〜と甘えてたようですよo(^_^)o触られて好きな人とそうでない人はあったようです。中西さん(お客さま)は特別好きだったみたい。早くマッサージしろとその姿勢に自分からなってましたよ」

 

>マッサージが上手い中西さんに甘えてたの、私も見たことがあります。人馴れしているシロちゃんも苦手なものがあったんですか?

 

井上「子供は嫌いでしたね。無茶しますからね子供は。子供は動物が好きですね。ただどう接していいのかわからない子も居てますね。(笑)猫は少し距離をおいて接する方がいいようですねo(^_^)o」

 

>シロちゃんの最初の印象は?

 

井上「シロが来た時はとても汚れて毛が抜け落ちてて、ガリガリでみすぼらしい猫でした。ケーキチームの子が洗って綺麗にしてくれました。」

 

>カンテのスタッフさんはみんな優しいですね!けどカンテが里親か?井上さんが里親かは微妙ですね(笑)

 

井上「そうですね。みんな優しいですよ。シロちゃんが居てた頃に、カンテの上の駐車場にヨレヨレの足の長い猫が死にそうになって居ました。その子も僕がカンテに連れて来て飼っていました。ノラちゃんと言ってましたが飼い猫だったのだと思います。全然怖がらなかったですから。

ところでその子がカンテで初めて寝る時大丈夫かなって僕が言ったら、土のくんという(後にイーマの店長になった)のが僕が一緒に寝ましょうか?と言ってくれて、そうしてもらいました。その時に家から持って言った布団は、今もあの大きな椅子のクッションとして使っています。もちろんインドの布で隠してますが(笑)」

 

>何気ないクッションまでカンテには猫ばながありますね?  そういえば3年くらい前、カンテ雑貨売り場の隅っこで友人がシロちゃんのウンチ踏んだのは、笑っちゃったけど切なかったです(T . T)

 

井上「ウンチをシロが失敗するのは本当に珍しいことでしたね」

 

>シロちゃんが少しボケたような、年老いた親を見ているようなで切なかったの覚えてます。そう言えば昔からカンテのスタッフは猫っぼいですね?

 

井上「そうなんですかね??確かにそんな子が多かったし今もそうなんですね。たまに犬っぽい子がいたらとても爽やかに感じたものです(笑)」

 

>爽やかって形容詞がハマらない、猫はそこがいい気がします。

 

井上「そうですね。猫が嫌いな人は猫好きが信じられないでしょうね。ケーキの、安田君(スタッフ)はほとんどの人が犬が好きで猫好きは稀だと思っていたみたいです。」

 

>シロちゃんを一言で言うと?

 

井上「シロちゃんはシロちゃんです。

元スタッフの神原君が撮ってた頃のシロちゃんは綺麗かったけど、僕は晩年のシロちゃんがより思い出になっていますね。やはり綺麗以上にいろいろ表情が豊かで、、。そして弱ってくると余計気が行きますからね。」

 

>わたしも晩年のシロちゃんはとてもチャーミングだと思いました。シロちゃんが住み着いたカンテという場所が、猫にとってとてもシアワセな場所だったんだとようやく気がつきました。お話ありがとうございました。(4月19日メッセンジャーにてインタビュー)

​#4 by Yasushi Inoue. interview by Naomi Ono.

#3 保健所での運命の出会い

March 28, 2017

『変な柄だし、不細工な猫。』これが桃次郎と名付けたオスの成猫と出会った時の正直な気持ちだった。

不細工な猫は初めて訪れた保健所にいた。奴はウシ柄なので、モーちゃんと職員さんに呼ばれ何故だか職員さんに信頼がありゲージの外に出させてもらっていた。
顔にはケンカの傷がたくさんあり、6㎏もある大きな体でノシノシ歩く様は、まるでギャングの親分みたいで強烈なインパクトを放っていた。
成猫は奴だけ他は可愛い仔猫達ばかりのゲージがたくさんある部屋で、奴は仔猫達に優しくゲージ越しに体を舐めてやったり、職員さんが僕と話しをしてる隙に堂々と仔猫達のご飯を食べて、注意されていた。そんな行動を横目で見ていて、かなり気になってはいた。『連れて帰りたい。』と
体重が6㎏もある野良猫時代の奴の食生活はいったいどうなってたんだと想像するだけで笑えたし、保健所にいるのに悲惨さをまったく感じさせない奴がたまらなく愛らしかった。
しかし、「譲って下さい。」とは言えずにいた。家にはオスの成猫が一匹いるから仲良くなるか心配があったし、そもそもその時の僕は無職だった。他人の心配よりも自分を心配しなければならなかった。

後ろ髪をひかれる思いで帰ろうとした時、奴はいきなり屁をこいた。余りの臭さに職員さんとビックリ驚き大爆笑をした。それが決め手となった。それに保健所での奴の紹介文が嘘偽りなく書かれていてとても気に入っていた。『のんびり屋で仔猫と人の傍が好きな大猫。』

オス猫同士仲良くならないなら、それはそれ、猫のことは猫に任せた。実家だから部屋ならある。別々の部屋で生活させよう。奴の屁でしっかり腹が決まった。無職の話しをすると譲渡してくれなさそうだったので、以前働いた経験のある介護をしていると、この時は“言ってもいい嘘”をついて譲り受けて帰っきた。

モーちゃんと呼ばれていた猫に改めて桃次郎と名付けた。先住猫と仲良くなるのには時間がかかったが、それなりに猫同士やっている。それを眺めてるのは非常に微笑ましい。
猫たちを喰わすために今日も仕事を頑張りたい。

#3 by Seiyo Matsui

#2 猫嫌いの父、その攻略法/上級編

March 27, 2017

20世紀も終わりに近いある日の午後に、公園を横切っていたときのこと。子供たちが滑り台で子猫を滑らせている場面に出くわした。されるがままに手足を広げた子猫は、おもちゃみたいにそれを滑りおりていた。

“そんなことしたら死んでしまうわよ”。

母は自転車を止め、子供たちに近づいた。真っ赤な口紅にグリーンのアイシャドウ、アフロヘアー。子供たちは怯えていた。“この猫どうするつもりなの?”。母は問いただす。これから捨てにいくのだと彼らは答えた。“私がいただくわ”。そういうと、母は長い爪を真っ赤に塗った手で、半ば奪うようにしてジャンパーのなかに子猫を隠した。“ああいう子供は締め上げたい”というのが母の本音だけど、そのかわりにありったけの品位を保ってこういった。

“動物は弱いからやさしくしてあげないと”。

 

“今度拾ってきたら父さんは出て行くぞ!”。母はそう釘を刺されていたにもかかわらず、これで4匹目だった。

お父さん許してくれるかな。心配する私と妹は自転車で母のあとをついて行く。家に着くと父はまだ帰宅していなかった。

作戦会議が始まる。

 

“だって出て行くって父さん言ってたもん!”。と妹。母は“大丈夫よ、口だけ”と自信ありげにいった。でも、もしこの子猫が原因で父が出て行くのだとしたら大事件だ。

母が3匹目の猫を拾ってきたとき父は確かにキレていた。しかし子猫を前にする母は、どうやら今回も乗り切るつもりでいるらしい。いかにして父に受け入れてもらうかが問題だ。これから話す物語は、母が土壇場でひねり出した、猫嫌いの夫を猫嫌いのまま制する秘密工作の記録である。

 

『だって父さんB型でしょ。新入りがうちのなか歩いてても絶対ばれないわ。それが象とかだったらばれるけど』母の意見はこうだ。A型の自分は繊細でよく気がつく。B型の父は大雑把で変化に気づかない。つまりB型の男=“がさつ”であると母に烙印を押されている父は、猫が増えても気づかない。これをブラッドタイプハラスメントと言われても、父の行動を熟知する母は信じて疑わない。

 

あれは我が家の長老猫“ぴよ”が死んだときのことだ。私たちはみんなで別れのメッセージを書いて、ぴよの遺体に添えた。さして猫好きでもない父が書いた手紙をのぞき見ることは、またとないチャンスだった。四つ折りにした紙を広げるという行為に罪悪感のなかった小さな妹は、それをあっさりとやってのけた。そこにはこう記されていたと妹はいう。“ブチさようなら”。それは、とっくに死んでしまった犬の名前だった。そのくらいビッグな父なのだ。

“父さんは犬か猫の違いもわかってなかったりして!”。そういって笑っていた母の言葉を私は思い出す。何事にも頓着しない、よくいえば大らかな性格の父を私は心底かっこいいと思う。そんなわけで、新入り猫がバレない説に私たちも賛同した。『でもね、父さんにも家族として認めてもらいたいと思ってる。そこで母さんに考えがあるのだけど、みんな手伝ってくれる?』

 

母の作戦はこうだ。

子猫を拾ってきたのは妹である。飼いたいのも妹。だからお父さん、彼女の願いをどうか聞いてあげてほしい。

つまり私たちは一芝居打つのだ。

 

『嘘つき』と妹はいった。『こういう嘘はついても大丈夫』と母。

 

ここで妹が選ばれたのには理由がある。日頃から父に信用されていない私の願いなど足蹴にされるのが関の山だ。捨ててこいと言われたら、この作戦は空中分解してしまう。その点、妹は私と違って宿題をきちんとこなす。忘れ物をしない。私が早々に諦めたそろばんの腕も上々だ。先生が嫌いというだけで、1回きりで逃げ出したピアノも妹は続けている。菜食の私と違って妹は肉が食べられるまっとうな子供である。

“こいつは真面目でまともで根性がある!”。そう父に言わしめた妹だ。つまり妹は父に一目置かれる存在だった。そんな子供の夢は得てして叶えられやすい。目先が利く母は、娘を隠し玉として盾に取る。

 

父が帰宅する。

いつもとかわらず食事をすませた私たちはテレビを囲む。何も知らない父と、平静を装う共犯者がテーブルを囲んでいる。母が口火を切った。

 

“お父さん、ちょっと話があるの”。長い沈黙。

“なんやねん、まさかおまえまた…”。コードレッドが発令されて、父は失意を隠せない。父が感じた嫌な予感が的中するのはそう遠くないはずだ。

 

母は申し訳なさそうに続ける。“この子が猫を拾ってきてしまって”。父はかたまる。私たちもかたまる。

“でもお父さん、すっごいかわいいのよ、見てくれる?”。不屈の精神で軽快に詰め寄る母に、“やめてくれ、もうやめてくれ、出ていくぞ!” と父は声を荒げる。

それでも母は食い下がる。“子猫にとってこれからの季節は寒いと思うのよ”。

母は父の警告をものともせず、今日という日を素晴らしい日にしようとしている。

 

“お願い父さん、私たちで世話するから!” 。

助け船を出したのは私。

交渉が成立するまでに、妹が口を滑らせてしまえば台無しだ。むしろ喋らない方がいい。最初からそういう手筈になっていた。

“おまえらどうせほったらかすぞ、父さんはわかってる。世話するのはいっつも母さんやないか!”。

いよいよ軍杯があがったところで母が最後のカードを出す。

“私が責任持つから信用して”。

 

こうしてすべては(見事に)母の手に落ちる。絶望する父を置き去りに、私たちは子猫に会いに行く。ほかの猫たちから隔離された部屋で、箱に入った子猫が鳴いていた。母は子猫を抱えると、“ようこそはじめまして”とあいさつする。それで私たちはこの作戦の成功を知る。

 

だって私、家事もちゃんとしてるもん。ブランドものも買わないでしょ。あんなのまったく興味ないけど。だから猫くらいいいと思うわ。それに3匹も4匹もいっしょ。父さんもあきらめたらいいのに。

これが母の言い分だ。

 

私たちは小さな新入りを連れて陽気に登場する。父は無言でテレビを睨んでいる。いよいよ父と子猫のファーストコンタクトの瞬間だ。子猫を父の膝にのせ、“ほら父さんになついてる!”と私ははしゃぐ。まだ目もはっきり開いていない子猫が父になつくもなにもない。そして失望に暮れる父は、さらなる災難に見舞われる。“この猫に名前をつけてあげて”と妹がせがむのだ。暗たんたる気分に抵抗する気力もない父。父によって絞り出される名前はセンスのないこと請け合いなのだが、私たちはあえてそこを聞いておきたいタイプの人種だった。母だって食器を洗いながら聞き耳をたてている。スタンバイオーケー。一刻も早くこの地獄から解放されたい父は『ぴーこちゃん』と適当に言い放つ。

 

『だっさ!』

『へんな名前!』

私たちってサイテーだ。父はため息をついて目を閉じる。“父さんはな、おまえら全員知ってると思うけど、父さんは、猫が嫌いなんや!”。

 

ここで残念なお知らせがひとつ。父は猫が嫌いである。嫌いというよりも興味がないといったほうが正しいかもしれない。しかしいったん家族に迎え入れると父はそれなりに世話をしてくれるのだ。

それに、つまるところ我が家でいちばん猫に甘いのは父だ。食事の時間はきっちり守ってねという母の目を盗み、内緒でおやつをくれる父は大人気。『父が歩けば猫に当たる』ということわざを母は作ったくらいだ。“猫が多いからそら当然当たるやろ”と父はキレてる。しかし父は、父の長い足に絡みついてくる猫たちに、“おい、かんべんしてくれよ!”なんていいながら、まんざらでもなさそうだ。

目的を果たした猫たちは、父に目もくれずあっさり退散する。図抜けて頭のキレる奴ら。

“猫のああいうところが嫌いやな”と父はいう。

“そう?私は猫のああいうところが好きよ”と母。

 

父の言い分はさておき、新入りを迎えて絶好調の私たち。先住猫たちは代わりばんこに様子を見にやってくる。ぴーぴー鳴く子猫に、大人げなくシャーと威嚇する猫たちが、このフェスをさらに盛り上げてくれる。ともあれ、あの日私たちは新しい家族を迎えた。

以上が21世紀になる前の、ある家族の寸劇。あるいは父の悲劇。そのルポルタージュの全貌である。

 

『おい!次拾ってきたら父さんは今度こそ出て行くからな!』。威厳を失わないために、父は声を大にして警告する。だけどその叫びはいつだって、永遠に、宇宙の彼方に消し去られてしまう。そのとき私たちはまだ誰も気づいていなかったけど、運命はこのあと母に5匹目の猫と出会わせる。(了) 

 

#2 by Kaori Yamada

#1 いつか猫を飼いたいと思っていた

March 04, 2017

 ある日生後1ヶ月半のオス猫(アート)が、うちにやって来た。迎えたのはいいけれど、猫と暮らすのは人生で初めてのことで、ペットショプで仔猫用の餌があることも初めて知ったくらいの里親レベル。そんな私が猫を飼いたいと本当に思ったのは、1匹の猫が死んだから。

 

20年以上通っているカフェ猫のシロちゃんが、2015年8月の終わりに天国に行った。外を自由に出歩き子供を産み元気だったシロちゃんが、年老いて弱っていく姿を最期まで見守ったこと、猫が20年生きることもこのとき初めて知った。

 

いつか猫を飼いたいと漠然と思っていた。ならば自分も20年元気に生きる必要があることにようやく気がついた。今しかない!ちょうど友人の猫が子どもを産んで里親を探していると言うので写真を見せてもらうと、迷いもなく手をあげた。スマホの中にいた小さな猫は、シロちゃんにそっくりだったのだ。あれから18ヶ月が過ぎてアートは大人になったけど、やっぱり似ているな〜とふと思う

 

里親になって初めて気がついたことがある。それは外出先から家に帰ってくると、アートがいるだけで部屋の温度がほんのり温かく感じることだ。大人だけの何気ない毎日だけど、アートのおかげで大笑いすることが家族に増えた。リビングの窓際に置いたまあるいラタン椅子の上で今日もアートがのんびり昼寝をしている〜それだけで殺風景だった窓辺の景色が1枚の絵のように見えてくる。猫と暮らし始めたこれまでを振り返って見ると、我が家にいてくれるだけでいい存在がアートなんだと素直に思える

 

アートに出逢ってひとつだけ想定外だったことがある。それは人生で一番使わないと思っていた単語 「カワイイ♡」を家族で不覚にも連発してしまっていることだ。猫と暮らす生活は、何かと楽しい。

 

#1 by Naomi Ono 

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